お堂の大きさ

桁と梁
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飛鳥時代のお堂は小規模で正方形に近い形でした。
奈良時代からは規模がグッと大きくなり、長方形のお堂となります。
一方向に延ばすことは、同じ事を繰り返せばよいので、比較的簡単でした。
縦横両方向に延ばすと、屋根が大きくなり、それを支える技術が必要となりました。

 

 

 

 

平面図 丸は柱

 間 けん

お堂の規模を表すのに、一間四面堂とか、桁行七間・梁間五間、というような言い方があります。

一間四面堂は、一間四方の本体(黄色の部分)に、ひさしがぐるっと一回りついた、図のようなお堂をいいます。

一間四面堂は、別の言い方をすると桁行けたゆき三間・梁間はりゆき三間のお堂となります。

また、時代によって表現が異なり、平安時代に一間四面堂と呼ばれたものは、後世では三間四面堂と呼ばれます。

平安時代は本体(黄色の部分)の柱間で表し、後世では外見の柱間で表現するようになります。

 1間=1.8m?

現在では、1間=約1.8mと決められていますが、昔は文字通り、柱と柱の間のことで、間は長さを表す単位ではありませんでした。そして、ひとつの建物でも、柱間の寸法は必ずしも一定ではありませんでした。

柱間は材料の扱いやすさから、3m位に設定されることが多かったようです。また、1本の木から取れる材料としては、長くとも10m位が一つの限界で、2本以上の材料を連結して、1本として使える技術が出来るまでは、どのお堂も規模が小さく、正方形に近い形でした。

 身舎もやとひさし

技術の進歩とともに建物は大きくなりますが、技術が未熟な頃は大きな屋根を架けずに、本体の外側に低い柱を立てて屋根を葺きおろしたり、軒下に別の屋根を架けたりして、建物を広げました。

本体部分は身舎もやといいます。身舎は母屋とも書きます。付加部分をひさしと言います。

身舎は仏像を安置する部分として使い、ひさし部分はお参りする部分として使われました。

 桁と梁

建物の棟むねと平行な方向を桁行といい、 これと直角の方向を梁行といいます。ふつう身舎部分の梁行は2間が多く、伸ばすなら桁方向に広げて行くことになります。

極端な例を挙げれば、三十三間堂です。桁方向が33間のお堂です。奥行きである梁行は規模が大きいので3間あります。
一間四面堂のような表現をすると、三十三間四面堂となります。外見は、桁行35間・梁間5間です。

 垂木たるきが基準

屋根板や屋根の下地材を直接支える材料を垂木といいます。垂木の寸法は二種類あります。断面の縦横比が、1:1のものと1:1.2のものがあります。

並べる間隔は、断面の縦の長さ分、間隔を空けます。これを基準として、3本ごとに1本抜いたり、2本抜いたりします。あるいは、断面の横幅の2倍間隔をあけます。

垂木の幅+間隔を1枝いっしと呼び、これが建物の各部分の寸法を決める基準になります。通常柱間を22本または24本とします。これ以外の数もありますが、垂木を2本一組で斗ますで受けるので、垂木は偶数となります。

緑の部分が垂木たるき
青の部分が斗ます
黄の部分が肘木ひじき

 
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