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■阿修羅はサンスクリット語の音写です。 ■略して修羅。阿須羅、阿素羅あそら、阿須倫あしゅりんなどとも音写します。 ■非天、不端正ふたんしょう無妙戯むみょうぎ無酒むしゅ不飲酒ふたんしゅなどと訳します。 ■阿修羅に関する説話は、いろいろなお経に登場します。 |
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阿修羅は語源のアスラの解釈から、相反する二つの神へと変化しました。ペルシャなどでは大地に恵みを与える太陽神とされ、インドでは熱さを招き大地を干上がらせる太陽神とされました。 そして、帝釈天との戦の話から、善神から血気さかんな闘争を好む鬼神へと変わりました。 帝釈天と戦った時、阿修羅王は日常の姿の倍の大きさになり、日と月をつかんだと言われています。以来、日蝕や月蝕は阿修羅王が日と月を手でつかみ覆うことからが起きる、という話が生まれます。 仏教に取り入れられてからは、天竜八部衆てんりゅうはちぶしゅうに組込まれ、仏法の守護神となります。
阿修羅王の普段の大きさは、背丈84,000由旬ゆじゅん、口は1,000由旬とされています。 ※諸説ありますが1由旬は約7Km。 姿にはいろいろな説があります。一般的には、三面六臂さんめんろっぴで上半身裸の像がよく知られています。国宝に指定され興福寺に祀られている像がこのタイプです。 曼荼羅では二臂像で、右手に剣を持ちます。その他、侍者を従えたタイプや、四臂像、持ち物を持っている六臂像、千の眼を持つ頭が九つ、手が990、足が六脚あって口から火を吐くとか、千頭二千手、万頭二万手など様々あります。 基本的には、男は醜しゅうにして女は端たんなり、とされています。
住所にも諸説あります。最初は須弥山の頂に住んでいましたが、しだいに低い所に移り住み、最終的には概ね海底または地下とされています。一例を挙げると・・・ 四大阿修羅王ありて須弥山の四面の海中に住む。 須弥山の東面、山を去ること1,000由旬、大海の下にあり、縦横8万由旬にして七重の城壁などがあり中に王の城がある。その大きさは縦横500由旬、中央に高さ20由旬の宝柱があり、その下に高さ1由旬の宝座があり、座の両側に16の小阿修羅の座がある。 4層構造と思われる説もあります。 須弥山の北、大海の下21,000由旬を過ぎたところに羅喉阿修羅王の宮あり、次の下21,000由旬に勇健の宮あり、次の下21,000由旬に華鬘王の宮あり、次の下21,000由旬に毘摩質多羅王の宮あり。 阿修羅の中でも極めて弱い阿修羅は、人間山地の中に住む、とした説などもあります。 |
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