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■お盆は、収穫祭や豊作祈願の要素も持ちます。 ■お盆は、水や火がテーマになることが多く、これは中国や東南アジアも同じです。 |
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盂蘭盆経は、お盆の由来となるお経で、中国で作られたお経と言われています。お盆がどんなものかは、こちらをご覧ください。 盂蘭盆経の原型となる話は、 インドでは7月15日にお供物を供える場所を設け、たくさんの珍しい味の食べ物を盆に盛り、仏様に供えたり僧に施して先亡の苦を救う風習があります。 これに、中国的孝養の徳目が付け加えられ、日本へ伝わりました。
お盆は、日本古来の風習と合わさり年中行事化しました。一日だけだった供養日がしだいに長期化し、それにともない精霊祭り的要素が増えました。 地域によって異なりますが、7月1日は地獄の釜の開く日とされ、釜蓋朔日かまぶたついたちあるいはお釜の口開けおかまのくちあけなどと言って、朝からお盆の支度に取り掛かります。 先祖が帰ってきやすいように、道を整備したり、井戸さらいや墓掃除、道具磨きなどを行います。 その後、お盆にまつる花やお供え物を採りに行く日があり、町場では野山に取りに行かれないので、代わりに草市や盆市が立つようになりました。 13日頃までには精霊棚などの準備をすべて整え、迎え火などを焚いて、山や墓地、寺などで先祖の霊を迎えます。迎え火で迎えるのは、比較的新しい風習のようで、野山に取りに行った花とともに先祖が帰ってくる、という考え方もあります。 14か15日が精霊祭当日、早ければ15日または16日未明が送る日、遅ければ20日とか30日に送るところもあります。 お迎えでは火を焚くことが多いのですが、送るときは、灯籠流しや、船を設えて盆棚や供物を流すなど、川や海に送ることが多く行われます。火で送る代表格は京都の大文字焼です。 いずれにしても、送るときが一連の行事の中で、最も華やかな部分となります。
日本で初めて盂蘭盆会が行われたのは606年と言われています。日本書紀に、この年よりはじめて寺ごとに4月8日と7月15日に設斎おがみす、と記されていて、花まつりと盂蘭盆会が行われた、と推察されます。 盂蘭盆会という言葉が出てくるのは657年になってからです。お盆が盛んとなったのは平安時代からで、またこのあたりから、僧への供養から亡き人への飲食供養へと変わってゆきます。 平安時代や鎌倉時代では、特定の皇室の祖霊に対して行われました。14日に宮中または貴族の邸宅に盆供が置かれてお参りがあり、15日には盆供は寺に送られ盂蘭盆会が行われました。 後にだんだんと対象とする霊の範囲が拡大され、特定の人から不特定多数の先祖供養となり、さらに施餓鬼会と習合して、無縁の霊の供養も行われるようになりました。 お盆の関連行事は全国にたくさんあり、よく知られているものを上げると、百万遍念仏、四万六千日、ねぶた祭り、草市、念仏踊り、子供念仏、灯籠流し、万灯会、大文字焼など、いろいろな形で庶民へ広がりました。 |
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