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■あらゆる存在は、ただ識=唯識。 ■認識しなければ、ないのも同然。 ■心にすぎない、心のみ、とする考え方。 |
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唯識思想は、北インドに生まれた無著菩薩むじゃくぼさつ310-390と世親菩薩せしんぼさつ320-400の兄弟が大成させた思想です。大乗仏教の根幹をなす思想の一つです。 唯識三年倶舎八年ゆいしきさんねん くしゃはちねんあるいは唯識八年倶舎三年と言われ、唯識は難解な思想でも有名です。
世の中を、モノの世界と心の世界に分けます。モノは心によって認識される、と考えます。 例えば、信号機があっても、何かに気を取られていて、その信号機に気づかなければ、無いのも同然です。そこにあることを認識した人に、はじめて存在することになります。 このような認識もあります。先生と生徒、互いに相手をそのように認識して、はじめて先生と生徒の関係が成り立ちます。そう思わなければ、先生と生徒の関係は成り立ちません。 さらに、観る人の心の状態によって、同じ先生が親切な先生になったり、おせっかいな先生になったりするでしょう。 あらゆる存在は、どのように認識しているか、自分の心の投影である、とするのが唯心論=唯識説です。
この学派は、瑜伽ゆが=ヨガの実践を通して、唯識性を観察することを重視する人達によってはじめられました。瑜伽行派ゆがぎょうはとも呼ばれます。当初は実践体系を説いていましたが、しだいに唯識説の理論に重点が置かれるようになり、唯識派と呼ばれるようになりました。 唯識派は、無相唯識派と有相唯識派に分かれます。西遊記で知られている玄奘三蔵法師は、有相唯識派の戒賢論師かいげんろんじから学び、中国に唯識思想を持ち帰ります。中国では玄奘三蔵法師の弟子、慈恩大師がこの思想を受け継いで法相宗を開きます。法はものの本性、相はものの現象、をさしています。 また法相宗は、その由緒から唯識宗とも慈恩宗じおんしゅうとも呼ばれます。厳密な分析的思考法の認識論を基本としています。 |
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