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■鹿野苑は、お釈迦様が悟りを開いた後、初めて説法をした場所です。 ■鹿野苑は、サンスクリット語のムリガダーヤの漢訳で、鹿のいる庭園の意味です。 ■鹿野苑は、鹿園、鹿林、施鹿園、などとも訳されます。 |
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鹿野苑は自然に恵まれ、昔から仙人の集まる所と信じられ、仙人住処鹿野苑とも呼ばれました。また、多くの思想家や哲学者たちも好んで集まる場所でした。 鹿野苑の地名の由来は、この地の王様が森で狩りをし、一度捕らえた鹿を哀れんで放した、という故事からきているようです。 鹿野苑は、四大聖地のひとつに数えられています。永く修行や巡礼の中心地として栄え、玄奘三蔵法師が訪れた頃が一番隆盛だったといわれています。 大唐西域記の第七、婆羅尼斯国の部分に、1500人の僧がいて高さ30m以上の塔をはじめとして色々な施設があった、と書かれています。
お釈迦様は6年間の苦行の末、苦行を見直し、河で沐浴し、村娘から乳粥にゅうびの供養を受けました。これを見た仲間の比丘たちは、お釈迦様は苦行を放棄した、と思いお釈迦様を残して去ってしまいます。 お釈迦様は、ひとり静かに菩提樹の下で瞑想し悟りを開きます。そしてアジャパーラ樹、ムチャリンダ樹、ラージャーヤタナ樹などの下で一週間ずつ瞑想し、悟りの境地を味わった、とされています。 この時に梵天が現れ、そのすばらしい悟りを人々に説法すべき、と勧めます。はじめは悟りを言葉で表すことには無理があると消極的でしたが、3度も勧められ意を決して説法することにしました。 まず、かつての仲間五人を尋ね鹿野苑に行きます。そこで初めての説法をします。
お釈迦様が法を説くことを転法輪といいます。とくに鹿野苑での最初の説法を初転法輪といいます。 初転法輪で五人に何を説法したかについては、いくつかの見解があります。代表的なものは、まず「比丘たちよ、世の中には近づいてはならぬ二つの極端がある」から始まり四諦したいと八正道はっしょうどうについて説かれた、といわれています。 二つの極端とは快楽主義と禁欲主義です。快楽を追い求めるだけでもいけないし、逆に極端に欲を抑えて苦行するだけでもいけない。両極端から離れ中道を歩むように説かれました。 四諦と八正道、これはどちらも難しい話ですが、そこから入れたのは、五人の比丘たちが6年間一緒に修行していて、かなりの基礎ができていた為、と思われます。この五人は、お釈迦様の身辺警護役として、お釈迦様の父親が派遣した人たちです。 |
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