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■荼枳尼はサンスクリット語ダーキニーの音写です。 ■荼吉尼、託祇尼、託幾爾、拏吉尼、などとも書きます。 ■荼枳尼は、夜、墓に集まり人の肉を食べる女性の夜叉です。 ■荼枳尼天は、白晨狐王菩薩びゃくしんこおうぼさつとも呼ばれます。 |
※託はフォントにないので代用です。言偏ではなく口です。 |
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荼枳尼天は仏教のお稲荷さんとして知られています。しかし原型は、お稲荷さんとはかなりかけ離れたものです。 荼枳尼はヒンドゥー教の女神カーリーの侍女で、人の肉を食べる夜叉とされています。荼枳尼という言葉には、見て食べる、という意味があります。 仏教では大黒天(摩訶迦羅まかから)に属する夜叉とされ、胎蔵界曼荼羅の南(絵に向かって右側)に、一人の死者を前にして、左右に侍者を従えて座る、恐ろしい姿で描かれています。また死者の手前には、4人の荼枳尼衆も描かれています。 荼枳尼は、もともと集団や種族をさす名前で、日本に伝わってから、天が付けられて荼枳尼天となり、一人の神様を表すようになりました。 荼枳尼は夜叉・鬼女ですが、若い荼枳尼は異様に美しく、性的魅力にもあふれている、とされています。能の般若の面は荼枳尼とも言われます。
大日如来が、荼枳尼たちを改めさせようと思い、摩訶迦羅に化けて荼枳尼たちに近づき、人を食べることを禁じました。しかし、荼枳尼たちは人を食べないと生きてゆけない、と言いました。 人の心にある人黄という生命力の源を食べて、自在に飛んだり、意のままに何事も成し遂げたり、人をコントロールする呪力を得ていたようです。 大日如来は、死んだ人の心ならば、と譲りましたが、自分たちより力の強い鬼神がいて、死んでからでは強い者に取られ、自分たちにはなすすべがない、と言いました。 そこで大日如来は、力の強い者に奪われることのないように、荼枳尼たちに六ヶ月前に死期を予知できる能力と、「訶利訶」というご真言を授けました。訶利訶は、邪術の垢を除く、という主旨の言葉です。 荼枳尼たちは仏道に帰依し、福神へと変化してゆきます。
古今著聞集に次のような話が残されています。 藤原忠實が、あることを非常に望み、荼枳尼の法で祈りました。七日目に狐が現れお供物を食べ、さらに七日後の満願の日、昼寝をしていると、美しい女性が枕元を通り過ぎました。 髪があまりにも美しいので、その髪を握ると髪が切れ、ビックリしたところで目が覚めました。髪を握ったはずの手は、狐の尾を握っていました。 次の日、藤原忠實の願いは叶えられ、この狐の尾は霊験あらたかな福天神として祀られることになりました。 女神カーリーには、死や破壊だけではなく、収穫後の土地に新たな活力を与える豊穣の神的なところもあり、稲作に関連付けられる要素のひとつになったと思われます。 日本では、いつしか在来の狐神信仰=稲荷信仰と習合し、一種の福神として広まりました。それにともない、姿も白狐に乗る天女の姿で表されるようになり、持物も人の手足から、剣、宝珠、稲束、鎌などに変わりました。 お寺に祀られるお稲荷さんは、概ね荼枳尼天を御神体としています。 |
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