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■奈良時代まで、寺は街の内外に建てられました。 ■最澄や空海など、密教者は人里はなれた深山に修行の地を選びました。 ■密教では仏様の数が多いので、それまでと比べ、お堂の数も増え多様化しました。 |
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仏教が始まった頃は、僧侶は定住せずに伝道の旅をしていました。そのため住居は必要はありませんでしたが、インドには雨期があり、この期間は旅が出来ないので、仮小屋を建てて一時的に共同生活をおくっていました。 裕福な信者が、土地や建物を提供してくれました。これが僧園=寺のはじまりです。 お釈迦様が生きていた頃は、当然のことながら仏様=お釈迦様を祀る建物はありませんでした。僧侶たちが住む建物と、集会をする広場だけです。 後に、お釈迦様の墓を示す塔を中心として、その周りに諸施設が配置されたり、塔の下にお堂を作り、お釈迦様=仏像を祀る形式が出来上がってきます。
中国に仏教が伝わると、最初は貴族の邸宅が僧園として利用されました。 インドでは寺の主な機能が、お釈迦様をお参りすることでしたが、中国では雪が降ったり極寒期もあるので、集会も建物内で行う必要があり、そのため大きな建物をもつ寺が利用されるようになりました。 中国では、仏教が伝わる以前から寺と呼ばれる建物があり、それを利用したので僧の居るところ=僧園=寺と呼ぶようになりました。 寺は官舎の意味で、外交の役所のようなものでした。
日本でも最初は、宮殿や邸宅の一部が寺として利用されました。後に百済などから寺院建築に必要な職人が来日し、本格的な寺が次々と建てられました。 当初は塔を中心として、ほぼ左右対照的に建物が配置される一定の形で建てられましたが、平安時代になると密教が伝えられ、伽藍配置が大きく変わります。 密教は街場を離れ、山奥に寺を展開しました。山岳地帯では平地のように整然とした建物配置が出来ないため、個性的な配置となり、また、密教に登場する仏様は数が多いので、お堂の種類も多くなりました。 観音堂のように、その由緒にちなみ山頂に好んで建てられたものもあります。 密教寺院では、仏様を祀る内陣と、お参りする人の場所=外陣を同じ建物内に設けるようになりました。 さらに浄土信仰や禅信仰が盛んになると、平地でも信仰を表現する特色のある寺院建築へと変化しました。 |
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