五台山

ごだいさん
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中国の四大霊場のひとつ。
東西南北中のつの状の峰から、五台山と呼ばれます。
最盛期は約300のおがありました。今も50ヶ寺くらい残っています。
文殊菩薩の住む清涼山にあたると信じられ、清涼山とも呼ばれます。

円仁794-864栃木県の出身。15歳で比叡山に登り最澄の弟子となる。別名慈覚大師。第三代の天台座主。天台密教の基礎を築いた人。

 

 

  

 

 五台
東台=望海峰
西台=挂月峰
南台=錦綉峰
北台=葉頭峰
中台=翠岩峰
北台が最高峰で3058m

 

 三大霊場 & 四大霊場

五台山ごだいさん峨眉山がびさん天台山 あるいは
五台山、峨眉山、普陀山ふださんを三大霊場といいます。

五台山、峨眉山、普陀山、九華山きゅうかざんで四大霊場といいます。

五台山は文殊菩薩、峨眉山は普賢菩薩、九華山はお地蔵様、普陀山は観音様の住む聖地とされています。

 五つの平らな峰

五台山の五台とは5つの平らな峰という意味です。円仁の記録には「銅のお盆を逆さにしたようである」と表現されています。
     
平均海抜は1000m以上あり、風が強く、背の高い木は育ちません。道も険しく、五月でも綿入れの上着を着るほど寒いところです。また、ラマ教徒の聖地にもなっています。

 唐代第一の巡礼地

五台山には、中国内外から、たくさんの高僧と呼ばれる人たちが訪れています。唐や宋の時代は、庶民信仰の中心地でもあり、巡礼者のために普通院と呼ばれる無料宿泊所がありました。

普通院は五台山への巡礼路に、適当な距離をおいて設置されていました。巡礼者を世話する係りの人もいて、巡礼者ならば誰でも利用できる無料施設です。経費は信者の喜捨によってまかなわれていたようです。したがって、食料が無いときは食事が出ず、休憩と宿泊だけになりました。100人位泊まれる施設もあったようです。

 日本からも

平安〜鎌倉時代にかけて、中国に渡った僧侶は、五台山と天台山をよく訪れています。天台宗の僧侶、円仁もここで勉強しました。帰国後、五台山で見た文殊菩薩堂をお手本として、比叡山に文殊楼を建てました。根本中堂の東側にある、門のような建物です。現在のものは1668に再建されたものです。

 入唐求法巡礼行記にっとうぐほうじゅんれいこうき

円仁が残した約10年におよぶ詳細な旅行記録です。この中に五台山の様子が詳しく記録されています。

地理、経済、風俗、行事、制度など、さまざまなことが記録されているので、玄奘げんじようの大唐西域記、マルコ・ポーロの東方見聞録と並ぶ、東アジアの三大旅行記といわれています。

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