神宮寺

じんぐうじ
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神社に付属したお寺
仏教的儀式を神様に捧げる為のお寺。
神様の前で、お経んだり、ご祈祷をしました。

 

 

 

 

 

 

 

※忌詞 宗教上の理由から、ある範囲の社会で不吉な意味に通じるとして、他の言葉に置き換えられた言葉。

 

 

 

 

山王鳥居さんのうとりい

明神鳥居の笠木の上に破風三角の部分を付けたもので、破風鳥居、合掌鳥居ともいいます。

仏教の胎臓界・金剛界と神道とが合わさったことを表している、といわれます。

 神仏習合 しんぶつしゅうごう

日本古来の神様と仏様が結びつき、神仏習合思想が生れました。それにともなって奈良時代の初めから、神社には神宮寺が置かれるようになりました。時代とともにその数は増え平安時代には、ほとんどの神社に神宮寺がありました。

神仏習合思想は、神様も人間と同じように、苦しみから逃れる事を願い仏様の救い求める。神様も仏様の教えを聞くことを喜ぶ。神様の力を仏様の力によって増幅させ、神様の労苦を少なくする。神様と仏様は相互に助け合う。といった考え方に発展します。

しかし、神仏習合は、なにもかも一緒ではなく、神事と仏事を厳格に区別する面もありました。宮中では宮中祭祀の間、仏教行事は停止しました。伊勢の斎宮いつきのみやでは、仏教関係の忌詞いみことばがありました。

 神宮寺 じんぐうじ

神宮寺は神供寺じんくじ神願寺じんがんじ神護寺じんごじ神宮院・宮寺などと呼ばれました。神社の境内かその近辺に建てられました。なかには伊勢神宮の神宮寺のように、遠方に建てられた場合もあります。

神宮寺には社僧しゃそうと呼ばれる人が住み、神様の前でお経を読んだり、ご祈祷をしたりしました。社僧は供僧ぐそう宮僧くそう神僧などとも呼ばれました。

規模はさまざまですが、能登の気多大神宮寺では常住僧3人、越前の気比大神御子神宮寺では常住僧5人、心願住者5人という記録があります。

どちらも規模の大きな神社で、気多大社には神宮寺が3〜4ヶ寺あったようです。気比神宮寺は初期に建てられた代表的な神宮寺で、絵図には本堂7×5間と食堂5×4間が描かれています。間は1.8mという意味ではなく、柱と柱の間という意味です。

神宮寺の宗派は、天台宗か真言宗に属するものが多かったようです。これは両宗派の考え方が、神仏習合思想の基礎に深く係っていた為と思われます。

 神仏分離 しんぶつぶんり

明治の初めに出された各種の神仏分離令によって、神道か仏教かの区別がなされ、全国で廃仏毀釈はいぶつきしゃくが行われました。仏像を御神体としたり、神社に仏具を置いたりすることが禁止され、多くの神宮寺がお堂や伽藍を破壊され廃寺となりました。

修験道系のお寺は多くが神社に転向し、残りは天台宗か真言宗に属するか、廃寺となりました。

また、お寺の中に祀られていた神様が独立して、大きな神社となった場合もあります。

そして、日本人はいずれかのお寺の檀家になることが義務づけられていましたが、それが廃止され、今度は一村一社の氏神様が定められました。

宮中においては、それまで安置されていた仏像やお位牌はすべて京都にある天皇家の菩提寺、泉涌寺せんにゆうじに移され、皇族のお葬式は神式になりました。 

 斎宮の忌詞 いみことば

斎宮いつきのみや・いわいのみや・さいぐう・さいくう

伊勢神宮に奉仕した斎王の御所では、仏教用語を使うのを避けるため、次のような忌詞が定められました。

中子なかご・・・仏様
染紙そめかみ・・・お経
阿良良岐あららぎ・・・塔
瓦葺かはらぶき・・・寺
髪長かみなが・・・僧
女髪長めかみなが・・・尼
片膳かたしき・・・斎=食事

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